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| 京浜急行「新馬場」駅(北口)→徒歩(4分) 京浜急行「北品川」駅→徒歩(7分) JR「品川」駅→徒歩(17分) |
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| 天比理乃命(あめのひりとめのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと) 宇賀之売命(うがのめのみこと)
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| 例祭(6月7日) 例祭(6月7日に近い日曜日から3日間)
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| 今からおよそ八百年程前の平安時代末期の文治三年(一一八七)に、源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座洲崎神社)の天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。 やがて、鎌倉時代末期の元応元年(一三一九)に二階堂道蘊公が「宇賀之売命(お稲荷様)」を、さらに室町時代中期の文明十年(一四七八)に太田道灌公が「素盞嗚尊(天王様)」をそれぞれお祀りしました。 慶長五年(一六〇〇)、徳川家康公が関ヶ原の戦いへ出陣の際に当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御札として仮面(天下一嘗の面)などを奉納されました。 また、寛永十四年(一六三七)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され当社がその鎮守と定められ、「御修覆所(神社の建物の再建・修復などは全て幕府が賄う)」となり、元禄七年(一六九四)・嘉永三年(一八五〇)の二度の社殿の焼失の際には時の将軍の命により再建が行なわれている等、徳川将軍家の庇護を受けました。 時代は明治に移り、同元年(一八六八)十一月には明治天皇様が新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために、当社を含んだ都内の十の神社を「准勅祭神社」と定められ、御勅使が御参拝になられ御祈願されました。 大東亜戦争の折は、当社は幸いにして戦火を免れましたが、社殿の老朽化が進み、昭和三十九年(一九六四)氏子各位の御協力により現在の社殿が再建されました。 (案内板より) |
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