| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 明治17.8年の両年にわたり、山口、鳥取等12県下の士族帰農者277世帯の人々が開拓に入地、18年秋八月総入地を機会に今の元町幾春別川左岸(狩野橋上流)に多数の村民が参加して大いに神祭を行なったのが当社の始めである。翌19年小祠を建て心の寄り所和楽の柱と氏神祭を最大の年中行事として、人心の安定融和の下に着々と開拓の歩を進め今日隆盛の基礎をつくった。明治30年敬神家石黒長平氏より市街南方高台の地に1853坪の寄進を受け造営を始めると共に公式手続を進め、明治30年9月14日2代目社殿の上棟祭を挙行、爾来9月15日を例祭日と定め名実共に鎮守様として尊崇し奉る。明治39年には道路等の関係もあり東向に神殿を造営、時運の進につれ境内も次々と拡張し、昭和7年県社に列格と共に4代目の御社殿の造営をみる。昭和56年創祀95年にあたり北海道最初の薪能を奉納、昭和61年創祀百年を奉祝し、社殿、社務所を新造、奉祝祭を斎行していよいよ崇敬の実も上る。
|
|
| |
| |