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| <由緒>(平成祭) 当社は、遠く神代(かみよ)の昔、霊峰「白山(はくさん)」を神体山として、生きとし生けるものの、「いのち」の祖神(おやがみ)と仰ぎまつる“白山比咩大神を奉斎したことにはじまり、その創立は遠く崇神(すじん)天皇の御代と伝えられます。延喜式内の名社でありまして、古来「下白山(しもしらやま)と称せられた本社は、霊峰白山の「まつりのにわ」として設けられた「白山本宮」で、「加賀一の宮」として尊崇され、「白山(しらやま)さん」としてあまねく親しまれている北陸鎮護の大社であります。養老元年(717)僧泰澄(たいちょう)がはじめて白山に登拝してから後は、朝野の信仰益々篤く、修験道場として隆盛を極め「白山衆徒三千を数う」と称せられました。その後、文明12年(1480)の大火によって40有余の堂塔伽藍が悉く烏有に帰しましたので、末社三ノ宮の鎮座地である現在地に遷られて今日に至りました。明治維新の後は「下白山」を本社、「白山天嶺(はくさんてんれい)」を奥宮とし、“国幣中社”として国家から特別の重い待遇を受けましたが、終戦後の今日では、全国に奉斎されている3千有余の白山神社の総本宮として“白山信仰”の中心をなしております。このようにして当社には白山比・大神の大御稜威(おおみいつ)を欽仰して、神恩奉賽の誠を捧げ、神楽(かぐら)を奉奏する崇敬者が四季を通じて跡を絶たず、とりわけ正月・5月及び9月は「おまいり月」と称して参拝者が多く、御社頭が賑わいます。日ごと月ごと「白山さん」の神前に奏でまつるみやびやかな神楽の音が、神さびた神苑の老杉古欅にこだまして、御霊験愈々いやちこなるものを拝します。
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