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| 大己貴命(おおなむちのみこと) 豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)
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| 赤城神社は東國開拓の神々が 祀られている古来の名社である。 東國経営にあたつた上毛野君の創祀以来、國司、武将が篤く崇敬し朝廷 からも承和六年(西暦八三九年)に従五 位下を贈られ、元慶四年西暦八八〇年に従四位上にあげられ 延喜式に は名神大社に列せられた長元九年(西暦一〇二八年)頃には正一位に叙せられ、次いで上野國の二宮とうや まわれていた。 赤城山は高く美しくうしろに山山をひかえて雄然と聳えている。 山頂の小沼から出る粕川を始め各河 川は麓の村こをひろくうるほしている。その尊厳と恩恵とはみ山とよはれ親しまれ尊はれ上毛野君の昔から 祀りつかれて来た。 分社は群馬県下のみで七十八社その 他を併せると三百余社に及ぶ昭和十九年(西暦一九四四年)には國幣中社に昇格の内定があつたが、終戦後は國土建設開拓精神発揚のため神威益々顕著である。 (案内版より)
赤城神社は群馬県内は基より、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県の各地に三〇〇余ある分社の総本社です。古代、崇高な赤城山と水源である沼の神霊を自然崇拝の対象に、農耕の神、東国開拓の神々の大己貴命、豊城入彦命を主祭神に祀り、創建は崇神天皇の御世と伝えられています。延喜式神名帳には上野国三大明神の一つに列せられる古社(延喜式内社)です。 上野の勢多の赤城のからやしろ やまとにいかであとをたれけむ。 と金槐集の源実朝の歌にもあるように、将軍をはじめ武将達が崇敬したばかりでなく、一般の人の信仰を集めました。また、神道集という吉野時代に伝説などから作りあげられた物語の本には、 もと赤城神は一宮であったが、はたを織っているときに「くだ」が不足し、貫前神に借りて織りあげたので、織物が上手で、財持ちである貫前神に一宮をゆずり、自分は二宮になった。 ということが見えています。その頃は、一宮の貫前神よりも二宮の赤城神の方が一般の信仰を集めていたから、このような伝説が起こったのでしょう。 (正一位 上野国神名帳より)
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