大友 宗麟

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九州において徐々に勢力を拡大させ九州探題にも任命され一大勢力を誇っていましたが、島津との「耳川の戦い」で大敗をしてからは敗戦を続け島津と対抗できる力がなくなり秀吉傘下になることを引き換えに援軍を要請し、あと1歩でやられるところを乗り切ったニャン。その後、病に倒れたニャン。

読み:オオトモ ソウリン
別名:大友義鎮
改名:塩法師丸(幼名)→義鎮→休庵宗麟
性別:男性
生年:1530年1月31日
没年:1587年6月11日
年齢:57
死因:病死
戒名:瑞峯院殿羽林次将兼左金吾休庵宗麟大居士
霊名:ドン・フランシスコ
配偶者:一色義清の娘
子供:義統
兄弟:義長
父:大友義鑑
母:大内義興の娘
主君:(なし)→豊臣秀吉
タイプ:武将

名前タイプ住所
 瑞峯院お墓京都府京都市北区紫野大徳寺町81
 宗麟公園お墓大分県津久見市津久見尾畑

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