松永 久秀

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三好長慶の家臣として勢力を握り、長慶の死後、三好三人衆と争うようになり、それに勝利し畿内の主導権を握ったニャン。織田信長が上洛した時には、いち早く降伏し信長に軍門に下ったニャン。本願寺攻め時には、信長の命にそむいた為に軍を差し向けられ城を包囲されたニャン。名器「平蜘蛛茶釜」を差し出せば命は助けると言われたが、久秀は茶釜ともに爆死したニャン。

読み:マツナガ ヒサヒデ
別名:松永弾正
改名:久秀→道意
性別:男性
生年:1510年
没年:1577年11月19日
年齢:67
死因:自決
戒名:妙久寺殿祐雪大居士
配偶者:三好長慶の娘
父:不詳
母:不詳
タイプ:武将

名前タイプ住所
 妙恵会総墓地お墓京都府京都市下京区柿本町735
 達磨寺お墓奈良県北葛城郡王寺町本町2-1

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