二宮赤城神社

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タイプ
神社
名前
二宮赤城神社(ニノミヤアカギジンジャ)
所在地(住所)
群馬県前橋市二之宮町886
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主祭神
大己貴命(オオナムチノミコト)
多紀理毘賣命(タギリヒメノミコト)
多紀津比賣命(タギツヒメノミコト)
市岐嶋毘賣命(イチキシマヒメノミコト)
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
天之笠早命(アメノカサハヤノミコト)
熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
和久産巣日命(ワクムスビノミコト)
大物主命(オオモノヌシノミコト)
建御名方命(タケミナカタノミコト)
配祀
級津姫命(シナツヒメノミコト)
須佐之男命(スサノオノミコト)
建御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)
大地主命(オオトコヌシノミコト)
誉田別命(ホンダワケノミコト)
菅原道眞(スガハラノミチザネ)
彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
天津日大御神(アマツヒオオミカミ)
級津彦命(シナツヒコノミコト)
大山祇命(オオヤマズミノミコト)
磐筒男命(イハツツノヲノミコト)
磐筒女命(イワツツノメノミコト)
日本武命(ヤマトタケルノミコト)
級津姫命(シナツヒメノミコト)
旧社格
県社
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
当社は、第10代崇神天皇の皇子「豊城入彦命」「大己貴尊」を始めとし、数柱の神々を祭神とし、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇の時代に創建されたと伝へられる古社である。特に、古代豊城入彦命を始とした毛野氏の子孫上毛野氏と深い縁のあつた社とも伝へられている。
平安朝初期の第54代仁明天皇の承和6年(829)に従五位下に叙されて官社となり、続いて昇叙を経、第60代醍醐天皇の延長5年(927)に制定された「延喜式」内、上野国12社中の名神大社とされた。第68代後一條天皇の長元々年(1028)頃の上野国の国司文書中に、正一位赤城大明神、上野国神名帳には、上野国二宮赤城大明神などの神位、神階が記録されている古名社であつた。第70代後冷泉天皇の永承四年(1049)には、日本全国の諸社中なら55社が選ばれ、神仏習合の勅願神社となり、当社もその一社として、社域内に造塔の折、心礎(根巻石)内に仏舎利(釋迦尊の骨片、現存)が奉納されていたのである。
鎌倉時代には征夷大将軍源頼朝の崇敬を受け、建久5年(1194)当社などの修築を、守護職安達盛長に命じ、二宮太郎浅忠、岡部九内忠成らが修築を奉行したり、百石を寄進したと云う記録も見られる。戦国時代に小田原城主北條氏政の軍勢に依つて、数多くの建物は打壊され、壊滅的被害を受け、宝物類も多く失ない衰微した。天正18年(1590)北條氏滅亡後、領主として大胡城へ入城した牧野駿河守忠成、康成父子を始めその後厩橋藩主となつた酒井氏歴代、江戸時代幕府の天領代官藩主松平氏歴代さらに住民に篤く尊崇されてきた、そして赤城南麓地帯の関連神社の中心的役割を果していた。
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